家族と衝突〜4月の精神状態 <告知〜手術までvol.22>

2017年5月下旬に乳がんの凍結療法の手術を受けました。
告知されてから手術までを振り返っています。
前回は、2017年3月の精神状態について、「3月の精神状態 <告知〜手術までvol.21>」でした。

今回は、2017年4月に入って家族と衝突してしまった話です(4月の精神状態)。(2月についてはコチラ2月の精神状態 」)

4月の予定はPET/CT検査のみ

病院・検査づくしの3月が終わり、4月の予定は後半にPET/CT検査を受けることになっているだけでした。PET/CT検査の結果から全身転移がないことが再度確認されて、5月前半に行うセンチネルリンパ節生検という検査でリンパ節転移の有無の結果から、5月中に凍結療法が受けられるかどうか、最終判断されます。

恐らく、主治医の診察・手術の予定やPET/CT検査の予約状況により、PET/CT検査を受けるのが4月の後半になってしまったようです。それ以外の予定は一切なく、食事に気をつけて、陶板浴に通い、ストレスを貯めないように気をつけて手術に向けて心身ともに整えていこう、と思っていました。

4月の上旬〜中旬

前半は3月と同じく、引き続きかなりやる気が高く、毎日陶板浴に通い、食事にも気をつけて規則正しく生活していました。その間、母と全く問題なかったわけではありません。もともと、母には若干暴言癖というか、何を言うにもキツいというか、穏やかに言えば角が立たないのに…ということが多々ありました。その度に衝突して、普通に話すように頼んで来ていました。母娘あるあるかもしれませんね。そんな関係なので、告知のあと、まず母に、ストレスはがんにとって大敵だからストレスが貯まるような物言いはやめてくれるように頼んだほどです。3月は比較的気を遣ってくれたようで、そこまでひどい言い方はされることはなかったので、穏やかに過ごせました。と言っても、ちょこちょこと母がキツい物言いをするのを、私が注意する、ということはありました。

しかし、4月に入って、母も私ががんであることに慣れたのか、次第に私がお願いしたことも気遣いも忘れるようになっていきます。私は自分にストレスをかけないようにしたいので、なるべくスルーするようにしていましたが、徐々に母に対するストレスが増えていきました。ただでさえ「がんである」ことに対する恐怖や不安からのストレスを抱え、それを表にしないようにしていたので、気づかないうちにストレスが貯まっていたようです。それらのストレスがどんどん上乗せさせられ、ついに4月の中頃、母にキレてしまったのです。

母との衝突

きっかけは本当に些細なことです。同じことを言うにしても穏やかに普通に言えばなんの問題もない事を、母は特に私にはものすごくキツい言い方をします。この件に関しては今に始まったことではないので、長年不満が貯まっていました。そして、それはだいたい私を責めるような言い方になります。私が特に何もしていなくても、責められるように感じるのです。

ある日、ついに本当に我慢できなくなり、私もつい声を荒げて苦情を言いました。本当にプチっとキレてしまうというのは、ああいうことを言うんだな、と思います。言いはじめた苦情と怒りの感情は留まることを知らず、相当長い時間大きな声で苦情を言い続けました。その大きな声を出す事自体も相当なストレスで、軽い動悸を感じたほど。ストレスにストレスがどんどん上乗せされたような状態です。今思えば、病気になって理不尽だという思いや怒りもあったと思います。それらをずっと隠そうとしていたのもあり、一気に不満と怒りが爆発してしまったのです。

その後、これらのストレスに堪え兼ねて、しばらく母と喋ることが出来なくなりました。

ストレス過食

これはもともと持っている私の問題ですが、ストレスがかかると過食する傾向があります。ストレスが貯まりすぎると、なるべく身体に悪いもの、スナック菓子やアルコールなどを多く摂取したくなります。アルコールはそもそもそんなに飲めないので、普段飲む人から比べたら大した量ではありませんが、自分にとっては多い量です。食べて吐いて、ということはしないので、ギリギリ過食症ではないと思いますが、とにかく口を動かしてストレスを解消しようとしてしまいます。

この時、母と衝突したあとにも、やっぱりその過食の衝動が抑えられず、過食が発動してしまいました。3月からあんなに厳しく食事制限をしていたのにも関わらず、スナック菓子やアルコールを大量に摂取してしまいました。そして、完全に食事制限が崩れてしまってそれまでの努力がムダになったことに対しても、憤りを感じるようになりました。自制できない自分にも腹が立つし、その怒りの原因を作った母にはもっと憤りを感じていました。

4月の後半

その怒りを抱えつつ、母とも口をきかないまま、PET/CT検査の日を迎えることになりました。検査は鴨川のK病院で朝行われる予定だったので、もともとは母と前日に温泉にでも泊まってから検査に行こう、と話をしていました。ですが、母と行く気にはなれず、さらにたまたま母はこの時インフルエンザになったので、結局一人で行くことになり、前日から一人で車で鴨川に行き、検査を受けて帰ってきました。一人で車を運転して行くのは初めてだったのですが、まさかの帰り道に車から変な音がする、というアクシデントが。通りがかった車のディーラーに寄って見てもらったら、すぐには直せないことがわかり、スピードを出しすぎないで帰るように勧められました。幸い、家には無事に着きましたが、帰りの道中ずっと緊張したままで、どっと疲れて家に帰りました。

弟との衝突

疲れて家に帰ると、その時インフルエンザになっていた母に差し入れをしにたまたま弟が家に来ていました。(母は、私が前泊する日にインフルエンザになっていたので、いずれにせよ病院へは一緒に行けませんでした。)私がいつもと違う様子で帰って来ても母と話もしないので、弟が急に「母に優しくするように」などと言いだしました。もともと、弟のほうが母に当たりがキツく、正直私はそんなこと言われる筋合いはありません。疲れて帰って来ている所、私がなぜ怒っているか事情も知らず弟に無神経なことを言われた私は、また怒りを爆発させました。最終的に言い合いになり、弟には家から出て行け、と言われる始末。病気が見つかって心穏やかでない私に、なぜ家族はこんな仕打ちをするのか。本当に悲しくて情けなくて腹立たしくて、家を飛び出しました。

その後

家を飛び出したものの行くあてもない私は、結局また大量の食料・アルコールを買い込んで家に戻り、その日は泣きながら食べました。自分が病気になって悔しい思いをしているのを家族は理解しようともしてくれないと感じて、本当に悲しかったです。自分の味方はどこにもいないような孤独感を味わいました。思えば、がんが見つかってから一度も泣いていなかったので、ここで一気にそれまで溜め込んでいたものが爆発したのかもしれません。色々なマイナスな感情が吹き出して止まらないような状況になりました。

結局この時の衝突は解決されないまま、食事制限は完全に崩壊し、4月いっぱいはずっとものすごくストレスを抱え込むことになりました。母とも他の家族とも、誰とも話をすることなく過ごしました。4月の終わり頃〜5月の頭は、このストレスを解消する為に、自分のしたいことで手術をしたら出来なくなること、例えば全身のマッサージなどに行って、なんとか心を落ち着ける努力をしていましたが、なかなか心を持ち上げるのはうまく行きませんでした。今思い出しても、4月は本当に辛かったです。この衝突は結局手術が終わったあとまで続くことになりました。

 

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