3月の精神状態 <告知〜手術までvol.21>

2017年5月下旬に乳がんの凍結療法の手術を受けました。
告知されてから手術までを振り返っています。
前回は、2017年3月末頃に受けた子宮がん検診について、「子宮がん検診に行ってきました <告知〜手術までvol.20>」でした。

今回は、2017年3月の精神状態を振り返ってみたいと思います。(2月についてはコチラ2月の精神状態 」)

告知のあと:3月前半

2月末に告知をされたので、3月の頭はまだ告知の直後す。告知で大きなショックを受けたものの、まず「なんとかしよう」と焦りのような、闘争心のようなものがあり、「人参リンゴジュース」や「陶板浴」「足ツボ」といった自分でできる、自分の身体に良さそうなものをはじめました。この部分は自分のある種の「前向き」だった点かと思います。

母にがんを伝えたあと(参照:家族に告知 I )は、なるべく心配かけたくない、弱みを見せたくない、という気持ちがかなりありました。母に、「そんなに悪くないはず」「なんとかなる」ことを必死でアピールしつつ、自分にも言い聞かせていたように思います。。

その一方で、「なぜ自分ががんにならなければならないのか」といった怒りのような、絶望的な気持ちと、「がんは怖い」「悪いものだったらどうしよう」という恐怖心も多くあったように思います。その恐怖を打ち破る為に、ひたすら「がんについて」「がんの治療法」などを調べていました。

病院の待合室で

確か、転院の有無を聞く前の診察の時だったと思います。待合室で順番を待っていると、若い女性とそのお母様らしき2人組が診察室から出てきました。2人は、待合室に戻って来て、とっても嬉しそうに「なんでもなくてよかったー」と喜んでいるようでした。恐らく、がんの疑いがあって、でも、がんでなかったことがわかったのだと思います。

その姿を見た時に、残念ながら「無事で何より」とは思うことが出来ませんでした。もちろん知り合いでもないし、関係ない人なので無関心でよかったのですが、割と「よかったね」と喜ぶ姿が目立っていて、その姿を見たら、心に棘が刺さったような辛い気持ちになりました。なぜ周りにがんの人がいる可能性を考えずに無神経にはしゃげるのか…。そんなことを思ってしまって、妬ましさや腹立たしささえ覚えました。今思うと、八つ当たりもいいところだと思いますが、当時自分は「がん」とわかったばかりで、もちろん喜ばしいことは一つもなく、目の前で(恐らく)良い結果を喜ぶ姿を見ると余計にやりきれない気持ちになったのだと思います。すごく心がすさんでいたな、と思います。

転移がないことがわかって:3月後半

3月の中旬、造影MRI検査とCT検査の結果、転移がないことがわかりました。その頃は少し希望が出て来た頃でした。母以外の家族にもがんを伝えるときは、空元気なりの笑顔でしたが「たいしたことないから」と言えるほどの余裕もあったように思います。その後は転院し、また検査を受けて、結果を待って…に加えて、ほぼ毎日「陶板浴」に行ったりと忙しくして、心と身体に鞭を打っていた感じもします。

3月後半も引き続き、がんのことや検査の結果に怯えていたものの、それを悟られるのが嫌でなんとか平静を保とうとしていました。実際がんだとわかって落ち込んだ気持ちはなかなか消えなかったのですが、それを打ち消す為か「がんに立ち向かおう!」という闘争心がかなりありました。

その闘争心をもちならも、「なぜ自分が…」という気持ちがずっとありました。自分が何か悪いことをしたのだろうか、自分の何がいけなかったのか、と自分を責めたりもしていました。表面上は(恐らく)落ち着いて見えたと思いますが、精神的には不安定だったと思います。

がん患者のメンタル

精神的に不安定だった自覚はあったので、がん患者のメンタルについても調べていました。

一般的にがんと告知を受けた後、

衝撃:頭が真っ白になるようなショック・ストレスを受ける
否認:そんなはずはない…と否定する
受容:これは現実だと認識
適応:がんであることに「適応」する

というように精神状態が移行するそうです。

適応するまでの時間は人それぞれで、2週間で適応できる人もいれば、3ヶ月以上かかる人もいます。適応までの道のりも一筋縄では行かないようです。一旦「受容」したものの「否認」の状態に戻ったり、すっかり落ち着いて「適応」していたと思ったら、何かの拍子で「否認」の状態に戻ることもあるそう。

参考にした本は聖路加国際病院・精神腫瘍科部長の保坂隆先生の著書「がんでも、なぜか長生きする人の「心」の共通点」です。

槍がたまたま当たっただけ…

上記の通り3月中、心の中では、「否認」と「受容」を繰り返していましたが、比較的「どうしてがんになってしまったか」という気持ちが大きかったです。「なぜ自分だけが「がん」にならなければいけないのだ」という憤りがありました。もちろん自分だけががんになっているわけではないことはわかっています。症状がずっと重い方が沢山いらっしゃるということも承知の上ですが、両親・祖父母はがんではないので、なぜ(その中では)若い私が、とう気持ちもありました。子供の頃にも同じようなことがあって、家族も兄弟も背骨に問題はありませんが、私だけが「脊椎側彎症」です(参照:既往歴〜現病歴 vol.1)。「なぜ私だけ…」とずっと思っていました。他の家族は元気なのに自分だけまた貧乏くじを引いたような気持ちでした。

そんな中、「がんの原因」「なぜがんになるのか」をネットで調べていて出会ったもののなかに、少し気持ちが楽になったものがあります。保険会社アフラックのサイト上にある東京大学医学部付属病院の中川恵一先生のインタビューです。

がんは、天から降ってくる見えない槍にたとえることができます。年齢とともに、槍の密度は高くなり、がんは増えていきます。タバコを吸えば、さらに密度は高くなります。逆に、運動や野菜重視の食生活は槍の密度を減らします。
しかし、ヘビースモーカーでも、最後まで槍に当たらない人もいる一方、どんなに健康に気をつけても、槍に当たることはあるのです。
がんは一部の例外を除き遺伝しません。遺伝するがんは、がん全体の5%程度です。むしろ「がんになる、ならない」は生活習慣と一種の「運」で決まるものと言えるでしょう。
出典:http://www.aflac.co.jp/gan/yokuwakaru/ganlist/doctors/page01.html

自分の何かがいけなかったに違いない、と自分を責める気持ちも少なからずあったため、「運悪く槍が当たってしまっただけ」というのは悔しいけれど自分を責めているよりは気持ちが少しだけ楽になりました。この頃は、納得していない部分の方が大きかったですが、「運が悪かったから、仕方がない」となんとか思い込もうとして、心を落ち着けていました。

まとめ

3月の精神状態はポジティブとネガティブが同居し、絶えずアップダウンをしていたように思います。とにかく、なんとか現実を受け入れようと、自分自身を説得していた期間とも言えます。ですが、まだまだこの頃は完全に受け入れるのが難しく、2月のがんかもしれない、と怯えていた時期と同じ位辛い時期でもありました。

<参考資料・サイト>
http://www.aflac.co.jp/gan/yokuwakaru/ganlist/doctors/page01.html
http://ganjoho.jp/hikkei/chapter1/01-00-03.html
保坂隆(2016) 「がんでも、なぜか長生きする人の「心」の共通点」朝日新聞出版

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