2017年5月下旬に乳がんの凍結療法の手術を受けました。
告知されてから手術までを振り返っています。
前回は2月の精神状態(告知〜手術までvol.3)についてでした。
これまで、要精密検査のお手紙を受け取ってから、検査、手術など一連の流れを通して最初に訪れた難関は、母への告知でした。私は母と2人暮らしのため、言わないでおくことは難しいと感じました。本当はせめて転移の有無がわかってから伝えたかったのですが、一刻も早く人参ジュースをはじめたかったので…。人参・リンゴ・レモンを通販で頼んだのですが、急に大量に人参が届いたら絶対に怪しまれるため、言わざるを得ない状況でした。病理検査の結果はどうやらそこまで悪いものではなさそうだとも思っていましたし、人参が届いてから問いつめられるよりは、変に怪しまれる前にきっちり説明しようと思いました。
母にがんを伝える
告知が2月27日の月曜日、翌日に人参などを発注、3月2日木曜には荷物が届きそうでした。28日に言おうと思いましたが言えず、その翌日(3/1)も言えなくて、結局3月2日に母に伝えることとなりました。
これが本当に緊張して、言わなきゃ、と思い始めてから心臓がバクバクしていました。なるべくショックを与えないように言いたかったので、本当にどうしてよいやら悩みました。母は高齢の上、感情表現が豊か(というより感情の起伏が激しめ…)で、すぐに泣いたり怒ったりするのです。深刻に言うのも私の性格上(どんな性格だか…)難しく、かと言って涙ながらに…という感じでもありません。漠然とどうしようと途方に暮れていた2月とは違って、告知されたあとのこの時は自分のがんを早く治さなきゃ!とやたら闘志に燃えていました。その戦いに選ばれた手段が人参ジュースとその後すぐにはじめることになる温熱療法でした(参照:病理検査を待つ間 I、病理検査を待つ間II)。
実際の会話の様子
ここは、軽く笑いをまじえながら…と思ったかどうか定かではないですが、以下、私と母のやりとりです。
とにかく、大変なことがあったから!さて何でしょう?(となぜかクイズ形式。)
というようなやりとりで、無事に?母への告知を終えました。
母の反応
母の反応は思ったよりは軽かったです。軽い、というと語弊がありますが、変に青ざめたり暗くなったり、という感じではありませんでした。「大変じゃん」が確か一言目でしたが、「じゃんっていつも使ってるっけ?」「あれ、あんまり大変って思ってない?」というのが私が受けた印象です。
その後は、恐らく母は動揺していたと思いますが、そこまで顔には出ていませんでした。ましてや泣き崩れるとかパニックになるようなこともなく、助かりました。やはり心中は穏やかじゃなかったようで、翌日眠れなかったとは言われたので申し訳なかったのですが…。ちなみに、そのときはまだ私は眠れなかったことはなく、色々ショックを受けているものの睡眠には影響はなかったので助かりました。
高齢の母に心配かけるのは忍びなかったのですが、私としては自分以外の人に言えたことで少しだけ心の重さがとれたような気分と、一仕事終えたような、どっと疲れがでるような感じと、それでも、今後の体調や治療への不安が拭えず、といろいろな感情が入り乱れた、精神的にとても疲れた一日でした。