告知から一年

先月〜今月は色々とバタバタしておりまして、なかなか更新できないでいましたが、一年前(2017年)の今日2月27日は乳がんを告知された日でした。

時間の経過の早さに驚きつつ、当時について改めて振り返ってみたいと思います。

2017年1月〜2月

1月に受けた地元の乳がん検診の結果が2月頭に届き、乳腺科に行きました。検診の時に明らかに技師さんが何かを見つけたような感じだったので、恐怖を覚えましたが、検診以降はなるべく悪いことを考えないように過ごしていました。要精密検査のお手紙をもらってからは、胸騒ぎがおさまらず、悪い結果への恐怖をひたすら感じつつ、自分が病気な訳がないということをひたすら言い聞かせていました。

乳腺科ではマンモグラフィー、超音波、針生検の検査をしましたが、結果がわかるために結構時間がかかり、2月の上旬に乳腺科を初受信しましたが、それから約3週間後の2/27に告知となりました。もしかしたら、そんなに時間がかかった方ではないかもしれませんが、一刻も早く結果を知りたかったので、その約3週間はとても長く感じました。

告知の時のこと

詳しくは以前の記事にありますが、要精密検査の通知を受け取ったことも乳腺科で検査を受けていることも誰にも言っていませんでした。母と同居していますが、高齢の母に無用な心配をかけるのは申し訳ないと思っていたので、告知も一人で聞きに行きました。今思えば、よく一人で行ったな、と思いますが、今後もしも何かあっても同じようにするような気がします。

ちょうど一年前のあの日のことは、鮮明に記憶に残っています。予約時間を過ぎてもなかなか名前を呼ばれない間に感じた緊張感、診察室の雰囲気、喉がカラカラになったこと、心の重さなどなど…。

心の重さとその後の恐怖心を吹き飛ばすためか、この日からものすごく攻撃的に、と言いますか、自分で病気を治すんだという位の強い気持ちで、自分を奮い立たせて、よくない言い方をすると躍起になってさらに乳がんの治療などについて調べるようになりました。この頃から食事療法のようなことも始めました。

その後

一年前はやや混乱気味の精神状態ではありましたが、その後精神的にはアップダウンもありつつ、転院してから凍結療法の可能性を探り、まだ記事にはできていませんが、無事に凍結療法の手術を受けることができました。凍結療法のあとは、放射線治療、そして現在もホルモン療法を継続中です。

最近のこと

最近では薬を飲み忘れそうになる位、乳がんのことを忘れてしまう時間が増えたように思います。身体(の傷)はほぼ回復していて、たまに思い出したようにセンチネルリンパ節生検の傷は痛みますが、持続的な痛みがあるわけではありませんので、スルーできる程度です。

ホルモン療法として「フェアストン」を今も飲んでいますが、ありがたいことに未だ目立った自覚できる副作用はありません。ホットフラッシュや関節の強張りと行った症状も今の所出ていません。

最近はどちらかというと体調よりもメンタルの不調が気になります。常に不調というわけではないので、大したことではないのですが、薬のせいなのか、病気等でストレスを感じたためか、それとも他の何が要因があるのか、やたらイライラしやすい、打たれ弱い、という感じになっています。例えば、少し性格がキツイ人から今までも言われていたキツい言葉が殊更こたえるようになっています。嫌なことがあると、切り替えがうまくできず、引きずるようにもなってしまいました。病気も薬も全く関係ないことかもしれませんが、ホルモンに関係するお薬を飲んでいる以上、ホルモンバランスに何らかの影響があるのでは…なんて思ってみたりもしています。

告知された時は本当に沈みましたが、その頃に比べたら今の心配事・気になることは小さいことだな、と今改めてこの記事を書きながら思います。治ったとなかなか言い切れないのががんの辛いところではあるので、その辺もメンタルに影響があるのかもしれませんが、とにかく、順調に治療が進んでいることに日々感謝し、元気に生きたいと思います。

 

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